| 歴史学通信 Vol.22 (1998/7) |
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王墓の出現 原田敏照
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1. 供献土器の復元
西谷3号墓から出土した土器は、第4主体だけでも200個体にも及びその取り上げでの苦労は、図録での渡邊先生のコラム[★1]を見ていただけばよく分かるが……。その後の接合による復元作業も歴代の学生の大変な苦労が同じようにあった。今回の展示を行うに当たり再復元を行うことになった。さらに、吉備系の特殊器台(土管のようなもの)についても復元することになった。しかし、特殊器台は当時破片が少数であることから復元できなかったものであり、それを復元することは、困難であった。そこで、宇垣氏(岡山の特殊器台の研究者)を招き悲しいぐらい少ない破片を検討していただいた。2日間にわたる作業の結果ようやく復元案の図面が出来上がることになったのだが、宇垣氏が破片をどの部分か検討し並べていく様はまさにさすがプロの技であった。こうしてその図面を基に出来上がった器台を見たときには、本当に感動し(復元部分の割合が多いことは抜きにして)、やっと、西谷の上に立てられた器台をイメージすることができた。また、その他にもきれいに復元された山陰系や北陸・丹後系の土器がそろったものを見た時には圧倒されるものがあった。実際、展示会場でも本当に一括でこれだけそろって出土しているのかと改めて質問を受け、そうと知って驚く見学者もいるほどであった。なお、復元作業の中で大変な事件が起こったのだが、ここでは残念ながら触れるのを差し控えた。あの時は本当に申し訳ありませんでした渡邊先生……。
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(C)島根大学『歴史学通信』編集委員会,
1998
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